• 2024-07-27 12:42 PM

The Kitchen Car Times

introducing high-quality food truck restaurants and takeout stores.

となかい食堂です。
 
今回はたまに質問される今までの経歴について書きます。
 
 
私は栄養士の短大を出た後、1年制の調理師専門学校に通いました。
卒業間近まで栄養士で就職するか、調理師で就職するか悩んでいました。今だから言えますが、栄養士での就職が決まっており、研修にも参加していました。じゃあなんで?なんて言われそうですが、その当時は私の興味があるお店に『女の子は雇っていないんです。』と、全て電話口で断られました。
 
あまり大手の学校でなかったせいか、高卒からの男の子ばかりに羨ましい求人の誘いがあったのです。
私も、とりあえず就職しなきゃいけない。という意識が先行して自分の気持ちを見て見ぬふりしました。けれど、結局自分の気持ちを無視できずギリギリの段階で就職辞退をし、会社まで謝罪しに行きました。
 
辞退したからといって次があるわけでもありません。今思えば当時からやりたい事やってきたんだなと。我慢できる性格じゃなかったんだなと、笑えます。

そこからまた就活が始まりました。何だかんだで同じことの繰り返しで『女の子はダメ』、
カウンターで直接お願いしたこともありました。結果は『ホールならいいよ』でした。
ミシュランの店でOK貰ったこともありましたが、『後から男の子来たからごめんね。』でした。
不採用を貰うたびにもう一度やって駄目なら栄養士で働くしかない。と、繰り返し考えていました。その後、しばらくお世話になるお店に巡り会えたのですが、そこも一度は不採用でした。
ただ、別に面接方法があることを知りもう一度チャレンジしてみた結果、採用して頂きました!嬉しさと、緊張が入れ混じっていました。
 
今思えば、最初は甘やかして頂いていました。先輩方が23時頃まで仕事していたのに私はしばらく21時で帰らせもらっていました。それでも最初の頃は大変だなと思っていました。
もちろん、どんな仕事も慣れるまでは大変です。初めて社会に出るということがこんなにも大変だと知った時でした。何を言われているかも分からない。ついていけない。
同期に男の子2人いましたが、そんなに飲めないし、女だから飲み会にも呼ばれない。先輩にも『お前と話すことなんかない』って言われたのを今でも覚えています。
 

当時の心境は飲み会も朝までだから呼ばれても大変だけど、呼ばれないのも寂しい。っていう複雑な気持ちでした。飲み会に行く同期の男の子は可愛がって貰って仕事も沢山教えてもらえるんだろうな、って考えてました。今だったら何も気にならないけど、当時は色々なことが気になり半年くらいは帰りの電車で泣きながら帰っていました。
 

が、同期が飲み会に行ってる間に家で練習しよう!という気持ちになり、家で剥き物や卵焼きの練習をしていました。今思えば卵焼きは卵8個も使うので家庭の火力じゃ上手くいくわけないんですが、その時は必死でした。
段々と先輩達からも声を掛けてもらえる様になり、あの時『お前と話すことなんかない』って言った先輩は今でも2人で飲みに行く仲です。
 
お店の仕事は最初は皿洗いから始まりました。どうすれば効率よく洗えるのか、どの皿とどの皿は割れるから一緒にしてはいけないとか、拭き上げるときも指紋を残さない様にするのはどうするか。など勉強しました。
ここで小心者の私は、本当にずっと洗い場にいました。多分、もっと賢い子だったら洗い物しながら先輩達のところに行って料理を見る。っていう流れなんです。先輩の方が痺れを切らして、『お前は何しに来たんだ?洗い物しにきたのか?』って言われて洗い場から引っ張り出されました。
 
そこら辺から段々、盛り付けの手伝いや皿の並べ方をやらせて貰えるようになりました。怒られない日はありませんでしたが、それ以上に楽しかったのを覚えています。
(いや、辞めたくなる日も沢山ありました)
 

 
それから先輩と前菜場の担当になり、色々指導して頂きました。
前菜場担当だった時の1番の思い出は忙しい12月のランチ時に松花堂弁当10段(空箱)を持ち上げる際に全て落とし1個をカリメロの卵の殻みたいに頭に被ったことがありました。激怒する料理長の後ろで声を殺して笑う先輩達、忘れません。
 
 
この時は、本当に今だから言えますが上の人への挨拶の仕方さえ知らず店長に『どーも』って言って先輩に頭引っ叩かれました。電話対応も毎日怒られてました。発注書に記入する時の姿勢も怒られました。肘をつくなと。今だから、ありがとうございます。と言えます。
 
前菜場の仕事に慣れてきたら次は揚場(油場)です。
ここはここで元天ぷら屋で働いていた大先輩がおり、毎日ピタリと後ろに着かれて怒られていました。途中から何から何までうるさくて、自転車の漕ぐスピードまで怒られて、ほっといて欲しかったです。
 
でもやっぱり学ぶことは沢山あり、色々教えて頂きました。その大先輩から教わった仕込みの仕方は他の人からは見ることはありませんでした。この大先輩も、私がキッチンカー始めた最初の時、手伝ってくださいました。
 

 
揚場くらいになるとやっと仕事にも少しだけ慣れてきて、賄い作りが楽しかったです。尊敬している先輩達に美味しいと言って貰いたい。その一心でした。
 

 
書いていてなつかしい経験です、今回の写真は全部10年ほど前の写真ですが、見返しても今ではワクワクします。
 

By となかいえんどう

寄稿コラム「あちこちとなかい "Here There Reindeer"」担当。となかい食堂店主。銀座や赤坂の日本料理店や新宿の寿司やなどで10年以上勤め上げキッチンカー開業。天丼、ジビエ、インドネシア料理、洋菓子、和菓子を提供しています。ケータリングも対応しております。市場や農協、選びぬいた食肉魚介だけでなく、生産農家さんから仕入れた朝どれの季節野菜や自分の畑で栽培した野菜を使用しております。好きな物はドーナッツ。主に東久留米市、狭山市、所沢市、日高市、越生市にて出店しております。